調べればなんでも出てくる時代。
欲しい情報は目と鼻の先にありますよね。
ですが、それでも私は「分からないことが増えた」と感じています。
先日起こった令和六年能登半島地震は、案の定Xにてデマや陰謀論が多く拡散されました。
人の善意に漬け込み救助を求めるデマでインプレッションを荒稼ぎする者や、人工地震等の陰謀論で多くの人々の不安を煽る者など様々でした。
嘘か本当か分からない状況で、その情報たちに踊らされている人達が何人もいたのです。
今の時代は情報が溢れすぎて、「本物」か「偽物」か分からないものもたくさんある印象です。
中には私たちが強く不安を感じる情報も存在します。
それなのに陰謀論者の大半が「まだ目覚めていない人々のために」と謳います。
ですが根拠などどこにも無い、ただ恐れを誘発するだけの情報ばかりです。
そういった情報は調べれば調べるほどドツボに嵌ります。
終わりなき戦いになります。
果たしてそういった人々の不安を煽る情報は必要なのでしょうか?
私は知らない方が幸せなこともあると感じます。
なぜなら、人間という生き物は自分に関わる分からないものが怖いからです。
だから、たいていの人は死ぬのが怖い。
いくら「器の肉体は死にますが、魂は転生するので大丈夫ですよ」と、スピリチュアル的な理論で説明されたとしても、怖いものは怖いのです。
どうやってこの肉体での最期を迎えるか分からないし、その瞬間は痛いのか、そもそも生活状況がどうなっているのかも分からない。
地震だってそう。
いつくるのか、”その時”はどこにいるのかも分からない。ましてや死ぬかもしれない。
だから、人は地震を怖いと感じるのです。
そしてこれと同じように、自分に関わる嘘か本当か分からない情報も怖いと感じるのです。
また、スピリチュアルの世界では、人々の気分を下げることはタブーとされています。
なぜなら私たちは感情からのエネルギーで次なる未来を創っているからです。
そうは言っても、様々な人間関係の中で自分の発言や行動で自然と下げてしまう時もあるのですが、そうではなく、良かれと思ってやったことでも誰かを不安にさせていることもあります。
例えば、本当か分からない内容(陰謀論など)を信じてXでリポストすることもそうです。
その内容が少なからず恐怖を誘発するものであれば、知らないうちにポストが目に留まった誰かの気分を下げてしまいます。
良かれと思っても、知らなくてもよかった誰かに届いてしまうこともあるのです。
最後に、AIも普及してきた今の時代は情報の取捨選択がとても大変だと感じます。
嘘をまるで本当かのように見せることはいくらでも可能であり、XのようなSNSが普及したからこそ本質が見えにくくなっています。
なんでもそうですが、ツールは上手く使えば善となり、陥れる道具にしたら当たり前ですが悪となります。
その善悪は自分で見極めなければなりません。
また、私が書いているスピリチュアルな内容の記事も、人から見たら「嘘か本当か分からない情報」だと思います。
ですが、私は誰かの気分を下げてしまうような恐れを誘発する情報は出していませんし、たいていが脳科学や量子力学で説明できるものばかりです。
そして何度も言いますが、自分に関わる”分からない”ものは怖いのです。
この記事を読んだ方が情報の取捨選択をする際や、誰かに情報を伝える際に、少しだけ考えるきっかけになれば幸いです。